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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)11435号 判決

原告 関本秀治

右訴訟代理人弁護士 鶴見祐策

被告 松澤智

右訴訟代理人弁護士 原島康廣

右同 三宅秀明

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、八〇万円及びこれに対する昭和五八年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告に対し、東京税理士会が発行する機関紙「東京税理士界」にタブロイド版全三段の紙面を用いて四号一二ポイント活字で別紙のとおりの謝罪広告を掲載せよ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文第一、二項同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は東京税理士会に所属する税理士であり、被告は税法を専攻する日本大学法学部教授である。

2  被告は昭和五八年一月訴外株式会社中央経済社(以下「中央経済社」という)より著書「租税法の基本原理」(以下「本件著書」という。)を刊行した。

3  原告による本件著書に対する批評の投稿

(一) 原告は、昭和五八年四月上旬ころ、「租税法の基本原理に関連して」と題する本件著書に対する批評を執筆した。右批評は、当初日本税理士連合会(以下「日税連」という。)の広報部の承認を得て同会の機関紙「税理士界」昭和五八年五月一〇日号(八四五号)の「発言席」欄に掲載されることになっていた。

ところが、右広報部会の承認後の同年四月二六日、同日付毎日新聞に「元ロ事件判事、近著の不始末―『出典明示せず学説引用』絶版を要求される」という記事が掲載されたところ、右記事は、被告の本件著書が、訴外北野弘久日本大学教授(以下「北野教授」という。)の学説の「盗用の産物」にあたるとして、被告及び出版社の中央経済社が北野教授から絶版を申し入れられたというものであった。日税連広報部は、右毎日新聞の記事が出るに及んで事件にかかわりたくないという思惑から、急拠掲載を保留することとした。そのため右批評の原稿は東京税理士会選出の日税連広報委員により東京税理士会に持ち帰られ、別途東京税理士会の機関紙「東京税理士界」昭和五八年五月一一日号に掲載されることになった。

(二) 原告による右批評の重点は、被告が本件著書において「一貫した理論体系を新たに構築した」とされているが、その内容において、北野教授がかねてから展開し、公にした理論と外形上同一ないしは著しく相似しており創造性に疑問があること及び理論体系としても統一性を欠いていることの指摘にあった。同原稿中には学説の創造性の重要性とこれを疑われる場合の学問的処理のきびしさを強調する意味で、かって自らの著書に他の研究者の成果を盗用したと疑われた大学教授が引責辞職したことがある前例が引用されていた。

(三) 以上の経緯により原告の右批評は「東京税理士界」昭和五八年五月一一日号に掲載されることになったが、同号は発行が遅れ、同年同月一八日に最終校正が終わり同日直ちに印刷されて翌一九日に発送予定であった。

4  被告の東京税理士会に対する申し入れ

(一) 被告は、昭和五八年五月一八日午前九時一〇分ころ、東京税理士会事務局(以下「事務局」という。)の広報担当役員宛てに電話をかけ、折柄不在であった広報部長に代わって電話に出た広報担当職員尾花市二(以下「尾花職員」という。)に対し、メモをとるよう要求したうえ、「会報紙上に関本氏の原稿が掲載されると、私の名誉が毀損されることになる。名誉毀損の記事が掲載されれば、貴紙が外部に公然と広めたとして執筆者の関本氏とともに貴東京税理士会に対し法律上の手段をとらざるをえない。」旨語気荒く述べた。

(二) 同年同月一七日被告は、被告の代理人名で東京税理士会会長あてに内容証明郵便で次のような通告書を発送し、右通告書は翌一八日東京税理士会に到達した。「今般、通告人は、被通告人発行にかかる『東京税理士界』三一六号に関本秀治氏の投稿記事が掲載されることを聞知しましたが、若し同記事が通告人の著作にかかる『租税法の基本原理』に関し、暗に同書が北野弘久氏の著書の盗作であるかのように記載し、或は、学究者としての通告人を直接または間接誹謗するものであれば、それは、明らかに通告人の名誉を毀損するものでありますので、直ちに、右記事の掲載を取り止められるよう通告します。万一、掲載されるにおいては、法律上の手続をとらざるを得ないものと考えるので念のため申し添えます。右通告します。」

5  東京税理士会の対応と原告の投稿内容の書替え

(一) 右電話と内容証明による「通告」に事務局は、極度の困惑に陥った。原告は、偶々自らの事務所で執務していたが、尾花職員から電話があり、「松澤氏から掲載取り止めの要求がきているが、原稿がなぜ事前に洩れたのか。対応をどうするか広報部長が不在で連絡がとれない。事務局として考えられる手段は、次の三つしかない。一は、松澤氏の要求をいれて原稿を書き替えていただくか削除する。二は、書き替えていただけなければ、全文掲載を取りやめて、改めて役員の指示を仰ぐ。三は、このまま掲載する。ただし三は、もし松澤氏から告訴などされるようなことになれば、事務局として責任を問われかねないので、とり得ない。従って、この際不本意であろうが、書き替えてほしい。」という趣旨であった。尾花職員ら事務局としては、元判、検事の職にあった被告がいかなる報復的措置に出るやもしれないと怖れた。現に当日の被告の電話は、威嚇的であり、しかも明らかに原告の原稿のコピーを手許に持っていることを窺わせる内容のものであった。その上すでに発行日を遅れており、一刻も早く印刷しなければならない状態にあった。被告は、そのことを知悉して強硬な態度に出たのである。

(二) 原告は、被告の行為は、東京税理士会の広報活動に対する不当な干渉と考え右の申し出を即座に断った。しかし掲載を取りやめにすると、紙面に空白ができてしまい、それもまた事務局の責任問題に発展しかねないということであった。何度かのやりとりののち、結局、原告としては、①原告自身も東京税理士会の理事であり、業務執行の責任を負うものであること②「東京税理士界」の円滑な発行についても無責任ではあり得ないこと③原告が書き替えを拒否した場合には、既に発行予定日をかなり徒過しており、新たな原稿を入れることは、不可能であり、結局空欄にせざるを得ず、そのことも広報部ならびに広報担当の事務局員の責任を問われることになるなど、諸点を考慮し、被告の理不尽な行為の責任は別途問う方策を講ずることにして、本件原稿の一部を書き改めることに同意し、その手立てを講じた。

(三) 原告が、事務局の懇請を受けて前記批評中書き改めた部分は、次のとおりである。

「それにつけても思いだされるのは潮見俊隆元東大教授の事件である。同教授の『治安維持法』(岩波書店)は、同僚の奥平教授の研究成果に負うところが多いと明確に述べられていたが、『盗作』と批判され、同教授は潔く東大を辞された。学問の世界の厳しさを教えられた事件である。本件も北野教授の指摘を待つまでもなく、右事件と同様な評価をされてもやむをえないであろう。」とある部分を「私の知るかぎりでは、(北野教授自身もそう指摘しておられるが)従来、数多い税法学者の中で、申告納税制度を、憲法の基本理念の一つである国民主権主義から理論づけた論者は北野教授と、その影響を受けた若手研究者以外にはなかった。その理論の基本的構造において北野税法学と軌を一にしているのであるから、その『新理論体系』が、単に著者の創造になるものとは到底信じられない。」とした。

6  被告の不法行為

(一) 原告が投稿した東京税理士会の機関紙「東京税理士界」は、同会の会員に対する会務の報告、連絡、必要な情報の伝達等のほか、会員からの寄稿を掲載し、会内の意見交流の場としても活用されてきた。この編集事務は、広報部が担当していたが、掲載が認められた会員からの投稿は、当該会員の意思を尊重することを旨とし、原文のまま掲載することを原則としていた。掲載された意見と反対の見解があるときは、反論は完全に自由であり、その掲載には、何らの障害はなかった。

(二) ところで本件のように、投稿が掲載され、校了の段階になって、その内容に抗議を申し入れその掲載自体の差止めを要求してくるという事態は異例のことであり、このため東京税理士会の担当者としても対応に苦慮し、原告に対し前記投稿の一部の取消し方を懇請せざるをえず原告においても書き替えざるをえなくなった。

(三) 前記のように投稿内容に制約を加えられた結果、原告の前記批評の趣旨に不透明な部分を生じ、原告の考えが読む者に素直かつ十分な形で伝わらないうらみを残すことになった。のみならず、東京税理士会ではかつて経験したことのない部外者からの介入という異常な事態から、前記原稿の書き直しの事実が税理士多数の知るところとなったばかりか、原告において何らかの非違があったように受けとめられかねない状態が生じた。

(四) 原告の投稿に対する被告の前記一連の言動は、常軌を逸したものであり、原告の表現の自由と名誉を著しく損う不法行為を構成するというべきであって、被告の右不法行為による原告の精神的苦痛に対する慰謝料としては八〇万円が相当であり、また名誉毀損に対する回復の方法としては別紙のとおりの謝罪広告が相当である。

7  よって、原告は被告に対し、不法行為による損害賠償請求権並びに原状回復請求権に基づき、八〇万円及びそれに対する不法行為後の昭和五八年一一月一三日から支払済みまで民法所定年五分の割合の遅延損害金の支払並びに別紙のとおりの謝罪広告の掲載を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  請求原因3(一)の事実のうち、昭和五八年四月二六日付毎日新聞に被告を誹謗するような記事が掲載されたことは認めるが、その余の事実は不知。

なお、右記事は事実無根であり、同年七月二二日付毎日新聞は「盗用の事実確認できず」「租税法学説問題で、日大調査委結論」なる見出しのもとに日本大学法学部教授会の了承を得た結論として、前記新聞記事に対する訂正記事を掲載した。

3  請求原因3(二)及び(三)の事実は不知。

4  請求原因4(一)の事実のうち被告が昭和五八年五月一八日午前九時一〇分ころ事務局広報部に電話したことは認め、その余の事実は否認する。同4(二)の事実は認める。

被告が、右事務局広報部担当職員に対し、電話により伝えた内容は、次のとおりである。「貴会々報紙上五月一一日号(三一六号)ひびき欄に、関本秀治氏の、私の著書『租税法の基本原理』についての投稿が掲載されると聞きました。その中に潮見俊隆元東大教授の事件を取り上げ、同教授の書いた本が盗作と批判されて大学を辞めたことと、本件を結びつけて記事となっていると聞きました。本件は全く潮見教授のそれとは関係がありません。全くケースが違います。それを恰も同じようなものとして結びつけて書いてあるとすれば、私が北野教授の著書を盗作したということを暗に言っていることになります。そのようなことはありませんし、絶対に許されないことです。若し、その記事が貴紙に掲載されるとすれば、私の名誉が著しく毀損されることになります。名誉毀損の記事が掲載されれば、貴紙が外部に公然と広めたとして執筆者の関本氏と共に、貴東京税理士会に対し、法律上の手段をとらざるをえません。私の学説を論評するのは自由ですが、私の名誉を毀損することは許されません。従って、潮見教授に関連する部分に限って削除されるよう求めます。」

5  請求原因5の事実は不知または否認する。

原告が東京税理士会から前記投稿記事の書き替えなど指示されたとしても、それは同会の編集権限に基づくもので被告の前記行為とは何らの因果関係もない。

6  請求原因6(一)の事実のうち東京税理士会の機関紙「東京税理士界」の編集事務を同会広報部が担当していたことは認め、その余は不知。同6(二)及び(三)の事実は不知、同6(四)は争う。

被告の本件行為は東京税理士会に対し、原告の投稿記事につき、いずれも、それが被告の名誉を毀損するものであるなら、右投稿記事の掲載を取り止めるよう求めたにすぎないものであって、決してやみくもに、右記事の掲載を取り止めるよう要求したものではない。この被告の行為は名誉を毀損されるやも知れない危惧を有する者の、社会生活上何人もなし得る自衛行為の範囲内にとどまるものであり、もちろん、原告の正当なる論評を封ずるものでもなく、そこには何らの違法性もない。

7  請求原因7は争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  事実関係

1  原告が東京税理士会に所属する税理士であり、被告が税法を専攻する日本大学法学部教授であること、被告が昭和五八年一月、本件著書を刊行したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  原告による本件著書に対する批評の投稿

《証拠省略》によれば以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告は本件著書に対する批評を日税連の機関紙「税理士界」の「発言席」欄に投稿したが、右批評の内容は次のとおりである(右批評を以下「本件批評」という。)。

「租税法の基本原理に関連して」

関本秀治

「税理士界」の書評欄で松澤智『租税法の基本原理』が高い評価を受けていた。私も、「従来の課税権者を中心に組立てられた租税法理論の反省に立ち、納税者主権主義の理念にもとづいて……一貫した理論体系を新たに構築」という出版社の紹介に大いに興味を抱いたため、右書評に刺激されて早速買い求めて読ませていただいた。しかし、「納税者主権主義に基づく一貫した理論体系」というのは決して新しいものではない。それにもかかわらず敢えてそうした理論体系を「新たに構築」したという主張に疑問を抱かざるを得なかった。松澤教授は「憲法上の法概念としての『租税』の意義」として従来の通説を批判して、「租税法は誰のためにあるか」(それは同書のサブタイトルでもある)という観点から、「主権者による国民を上位概念」として「税の使途面」も包摂した「租税正義」を説かれる。また、主権在民の基本理念から、「国民主権主義=納税者主権主義=申告納税制度」という図式を提示される。右の基本的観点については全く異論はなく、諸手を挙げて賛成するが、右のような理論は学界における「通説」ではなく、松澤教授の同僚である同じ日大の北野弘久教授によってかなり前から公にされていたものである。それが「通説」ではないだけに、「新しい理論体系を構築した」と主張されるためには、松澤教授の「理論体系」のとこが「北野理論」と異っており、どこが同じであるかが明確にされねばならない。この点に関し、北野教授御自身が近著「憲法と税財政」(三省堂)の序文で松澤教授の「新理論体系」に疑問を提起して居られる。北野教授の指摘によれば、「部分的には文章も酷似している」とさえいわれる。それにつけても思いだされるのは潮見俊隆元東大教授の事件である。同教授の「治安維持法」(岩波書店)は、同僚の奥平教授の研究成果に負うところが多いと明確に述べられていたが、「盗作」と批判され、同教授は潔く東大を辞された。学問の世界の厳しさを教えられた事件である。本件も北野教授の指摘を待つまでもなく、右事件と同様な評価をされてもやむをえないであろう。ところで、私も一税法学徒としてこの「労作」を読ませていただいたが、期待は完全に裏切られた。「申告納税制度が国民主権主義の税制面における表明である。」と説かれながら、申告納税制度を破壊しかねない最近の「申告納税制度見直し論」に対しては極めて肯定的である。何よりも『租税法の基本原理』という大きなタイトルを掲げられながら、社会現象としての税法現象についての客観的で科学的な認識(法認識論)が全く欠落している。このため、解釈論、立法論(法実践論)においても抽象的な「租税正義」を力説されるだけでそれがどのような具体的事象に適用されるのかは不明である。基本的な法イデオロギーが確立していないため、全く矛盾する論理が無原則的に羅列されており、「納税者主権主義」に基づく「統一的な理論体系」などというものではない。そういう意味で、残念ながら本書は真面目な学問的批判に耐えられるものではないように思われる。

(二)  本件批評は当初右「税理士界」に掲載される予定であったが、昭和五八年四月二六日付毎日新聞に、北野教授が本件著書につき、出典明示せず学説引用し、学問上自説の盗用に当たるとして絶版を申し入れた旨の記事が掲載されたため、日税連広報部は本件批評の掲載を保留した。そこで東京税理士会出身の日税連広報委員が本件批評の原稿を東京税理士会に持ち帰った。そして東京税理士会広報部長は東京税理士会の機関紙「東京税理士界」昭和五八年五月一一日号の掲載記事を決める広報部会終了後、同部職員に本件批評を穴埋め記事として掲載するよう指示し、右批評は同号に掲載されることとなった。同号は発行が遅れ、同年五月一八日が校正、印刷、翌一九日発送の予定となっていた。

3  被告の東京税理士会に対する申し入れ

被告が昭和五八年五月一八日午前九時一〇分ころ東京税理士会広報部に電話をしたこと、同年同月一七日被告は被告代理人名で東京税理士会長宛てに後記のとおりの通告書を発送し、右通告書は翌一八日東京税理士会に到達したことはいずれも当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》によれば以下の事実が認められる。

(一)  被告は、昭和五八年五月一八日午前九時一〇分ころ、東京税理士会広報部長宛てに電話をかけたが、同部長が不在であったため同部長に代って電話に出た尾花職員に対して、まず通話内容を録音するように求めたが、録音機がなかったため、メモをとるように求めたうえで、次のように述べた。

「昨晩、会報紙上五月一一日号(三一六号)ひびき欄に、関本秀治氏が、私の著書『租税法の基本原理』についての原稿が掲載せられると聞き、文中に潮見俊隆元東大教授の事件をとりあげて、潮見教授の書いた本が、盗作と批判されて大学をやめたことと本件を結びつけて記事になっているということを聞きました。本件は、まったく潮見教授のそれとは関係がありません。ケースが違います。それをあたかも同じようなものとして結びつけて書いてあるということは、私が北野教授の著書を盗作したということを暗に言っていることになります。そのような事実は絶対ありませんし、このような記事を出すことは許されないことです。もし、この記事が貴紙に掲載されると、私の名誉が著しく毀損されることになります。名誉毀損の記事を貴紙が掲載されれば、貴紙が外部に公然と広めたとして、執筆者の関本秀治氏とともに貴東京税理士会に対し法律上の手段をとらざるを得ません。私の学説を論評するのは自由ですが、名誉毀損の事実は絶対に容赦できません。従って潮見教授に関連する部分に限って削除されるように求めます。」

尚その際、被告が語気荒く述べたと認めるに足りる証拠はない。

(二)  被告は、被告代理人名で、同年同月一七日、内容証明郵便で、次のとおりの内容の通告書を東京税理士会宛てに発送し、右通告書は翌一八日に東京税理士会に到達した。

「今般、通告人は、被通告人発行にかかる『東京税理士界』三一六号に関本秀治氏の投稿記事が掲載されることを聞知しましたが、若し同記事が通告人の著作にかかる『租税法の基本原理』に関し、暗に同書が北野弘久氏の著書の盗作であるかのように記載し、或は学究者としての通告人を、直接または間接、誹謗するものであれば、それは明らかに通告人の名誉を毀損するものでありますので、直ちに右記事の掲載を取り止められるよう通告します。万一、掲載されるにおいては、法律上の手続をとらざるを得ないものと考えるので、念のため申し添えます。右通告します。」

4  東京税理士会の対応と原告の本件批評の書き替え

《証拠省略》によれば、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  東京税理士会の機関紙「東京税理士界」は毎月一回一一日に発行され、発行部数は約一万三〇〇〇部であり、税理士会員、関係諸団体、官公庁に配布され、またその内容は業界、会員の動き、会員の声を中心とするものである。右「東京税理士界」の記事内容の採否については、原則として毎月五日前後に開かれる広報部会により決定される。また本件批評が掲載されることとなった「ひびき」欄は会員の意見を掲載する欄であった。

(二)  前記被告からの電話を受けた尾花職員は、被告の前記申し入れにつき、広報部長に相談するべく同部長を捜したが連絡がとれなかった。そこで尾花職員は、原告に電話をかけ、被告の前記電話の内容を伝えたが、原告は右申し入れに応じることを拒否した。その後前記通告書が送られてきたこともあって、再び尾花職員は原告に電話し、事務局としては、原告の投稿を、①全文掲載する②全文削除して別のものを載せる③一部修正、あるいは削除して載せるという三つの手段が考えられるが、全文掲載するというのは現在の状況からみて不可能に近いので、一部修正削除という方向で原稿を出してほしい旨依頼した。原告は、不本意ながらも、事務局の立場も考慮して一部書き替えに応じることとした。尚、右尾花職員は原告との間で右やりとりをするに際しては、東京税理士会の事務局次長、機関紙の校正にあたっていた一ないし二名の広報部員(いずれも税理士)らと相談し、また、同日午後六時ころ、右経過について広報部長に報告した。

(三)  原告が当初の批評の原稿中、事務局の依頼に基づき、書き替えた部分は次のとおりである。

「それにつけても思いだされるのは潮見俊隆元東大教授の事件である。同教授の『治安維持法』(岩波書店)は、同僚の奥平教授の研究成果に負うところが多いと明確に述べられていたが、『盗作』と批判され、同教授は潔く東大を辞された。学問の世界の厳しさを教えられた事件である。本件も北野教授の指摘を待つまでもなく、右事件と同様な評価をされてもやむをえないであろう。」とある部分を「私の知るかぎりでは、(北野教授自身もそう指摘しておられるが)従来、数多い税法学者の中で、申告納税制度を、憲法の基本理念の一つである国民主権主義から理論づけた論者は北野教授と、その影響を受けた若手研究者以外にはなかった。その理論の基本的構造において北野税法学と軌を一にしているのであるから、その『新理論体系』が、単に著者の創造になるものとは到底信じられない。」と書き替えたものである。

そして右書き替え後の本件著書に対する批評が前記五月一一日号に掲載され、同号は五月一九日発行された。

5  《証拠省略》によれば以下の事実が認められ右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  被告は、本件著書刊行直後の昭和五七年一二月下旬ころ、右著書の見本印刷を北野教授に贈呈したところ、同教授から右著書の出版元である中央経済社に対して「問題がある」との申出があったので、被告と北野教授が中央経済社において話し合った結果北野教授の学説を摘記する補遺を挿入することで合意が成立した。北野教授は、被告から右合意に基づいて加入された補遺の原稿について表現上の間違いに関し、当初一部加筆訂正の申出をなし、被告もこれに応じて書き直した補遺が添付された著書が北野教授に届けられたところ、同教授は右補遺の付された本件著書の出版について異議なく了解した。

(二)  ところが、その後北野教授は前記了解の意をひるがえして、昭和五八年一月下旬ころ、本件著書の盗作盗用問題を蒸し返し、本件著書の帯文及び広告文に対して訂正するように申出をし、同年三月には本件著書の絶版を要請するようになり、同年四月二五日に右絶版を正式に申し入れるに至った。

(三)  そして、その翌日、毎日新聞に右北野教授からの絶版要求についての記事が掲載された。そこで日本大学法学部においては、「毎日新聞記事調査委員会」が設置され、昭和五八年五月一九日の第一回調査委員会以来八回、同委員会を開催して調査にあたった。その間同委員会は昭和五八年五月二七日付書面を以って、「盗作、盗用がありますか、あるとすればどの部分が盗作、盗用になるのですか」等数項目に亘る照会を発して双方の回答を求めたうえ、これによって提出された双方の陳述書、参考資料を詳細に調査検討し、かつ本件著書の出版元である中央経済社の代表取締役、編集担当者等に面接し、その間の経緯について詳細に事情聴取を行った。

(四)  日本大学法学部調査委員会は昭和五九年三月一五日、同大学法学部長宛てに左記内容を含む調査報告書を提出したが右委員会は右報告書において次のように述べている。

(1) 被告の所為については「松澤教授の本件著書については、盗作及び盗用等著作権侵害の事実は認められない。したがって、同教授の同著書の出版継続は著作権にもとづく正当な行為と認められる。」と述べ、

(2) これに対して北野教授の所為については「本件著書に自己の要求する内容の補遺が挿入されて出版されたことで円満に解決したことを認めながらも、右のような話し合いによる解決を無視して、積極的に自ら『体系的・基礎的アイディアの盗用』『盗作的行為』などとし、さらには『部分的には文章も酷似している』『引用は出典文献を明示して、その研究者が何を言おうとしているかわかる程度に紹介するのが学問的手続き』等と多数の雑誌論文に書いて批判的言辞を公表し、あたかも松澤教授が盗作盗用等著作権法に違反しているかのような印象を与える所為に出ている」と述べている。なお、同委員会報告書には、原告から被告に対して提起された本件訴訟に関してもふれ、「北野教授は、被告が原告に対して謝罪するなど一定の条件がととのわない限り今後も本件著書が盗作盗用に該るとの表現を用いて論評を続けていく」との意思表明をした旨の記述がされている。

(五)  昭和五八年七月二二日付毎日新聞には、被告の本件著書出版に関し「“盗用”の事実確認できず」「租税法学説問題で日大調査委結論」と見出しをつけた記事が掲載された。

二  被告の不法行為責任の有無

原告は、被告の本件における一連の言動は原告の表現の自由を侵害するものとして不法行為を構成する旨主張するのでこの点について判断する。

1  ところで、憲法に保障された表現の自由が最大限尊重されなければならないことはいうまでもないが、他方、個人の名誉も人格的利益の内容をなすものとして法的に保護されるべきものであり、確実な資料、根拠に基づかない表現行為によって他人の名誉を傷つけることは許されないものというべきである(最高裁判所昭和四一年(あ)第二四七二号事件、同四四年六月二五日大法廷判決・刑集二三巻七号九七五頁参照)。そして表現行為により名誉を侵害される被害者は、自己の人格的利益を守るために、加害者に対して現に行われている侵害行為の排除を求めることはもとより、将来生ずべき侵害の危険性が現在において明白かつ具体的に生じている限りにおいて、予め抑止を求めることも、その方法、態様、程度等が社会的に相当と認められるかぎり許容されるものというべきである。

2  本件においてこれをみるに、前記認定のとおり、原告は本件批評において被告の本件著書につき、潮見俊隆元東大教授の著書が盗作と批判され、同教授が東大を辞職した例をひきあいに出し、「本件も右事件と同様な評価をされてもやむえないであろう。」と述べており、右文章をその前後の文章と合わせ読む時には、間接的にではあるにせよ、被告の本件著書に対し、盗作という評価を与えているにほぼ等しいと認められること、しかし、一方前記認定のとおり、被告と北野教授との間では、一旦は、本件著書の出版継続につき和解が成立していること、また日本大学法学部調査委員会において被告の本件著書について詳細な調査検討がされた結果、同著書には「盗作及び盗用等著作権侵害の事実は認められない。」という結論を出しているのであって、右の事実からすれば本件著書が北野学説の盗用であることを裏付けるに足りるほどの確実な資料、根拠があるとは認め難いこと、更に前記認定のとおり本件批評の掲載が予定された「東京税理士界」は東京税理士会の機関紙であり、発行部数も約一万三〇〇〇部と多く、配布先も税理士、関係諸団体、官公庁と幅広く、その影響力は大なるものがあると考えられることからすれば、被告が右原稿が確実な資料、根拠に基づかないものであり、これが同紙に登載されると税法の教授としての自己の名誉が毀損されることが明白であると考えて、事後的な救済を待つことなく、自己の名誉を守るために事前に右原稿の表現の不相当な点を指摘するなどして同紙の発行元である東京税理士会に一定の申し入れをなし、右申し入れにより事務局が原告に書き替えを要求したことは、被告自身の名誉を守るための行為としてその手段、方法、程度等が相当と認められるかぎりにおいては許容されるものということができる。

そこで被告の右申し入れの手段、方法、程度等について検討するに、被告は前記認定のとおりの電話及び通告文により東京税理士会に対して申し入れをなしたが、代理人名による通告文の送付の外、直接電話をかけ、しかも電話内容の録音やメモ書きを求めるなど、いささか方法において執ようにすぎるきらいはあるものの、被告が削除訂正を求めたのは、本件批評全文ではなく、被告の本件著書が盗作と暗示されている部分に限られていること、被告の電話、通告文による申し入れについてもことさらに脅迫的言辞が用いられたわけではなく、威迫的なものとは認められないこと、また、本件批評がそのまま公にされ、被告の名誉が毀損された場合に法的手段をとる旨の被告の言にしても、通常個人の名誉が毀損されたならばその者に法的に保障された救済手段をとることが認められているのであり、被告としてはかかる通常何人にも保障されている手段をとるであろうと述べただけで、ことさら脅迫的な言動とはいえないことからすれば、被告の前記申し入れは、その手段、方法、程度において未だ違法性を認めるに足りないものといわねばならない。

3  また原告が原稿を書き替えた経緯について検討するに、前記認定のとおり本来「東京税理士界」には投稿された原稿すべてが掲載されるわけではなく、その編集権限は原則として同会広報部会が有していること、事務局は、本件批評の書き替えを原告に要求するにつき、正式に広報部会の了承を得たわけではないけれども、広報部職員である尾花職員による右書き替えの申し入れは、校正にきていた一ないし二名の広報部員との相談のもとになされたものであり、また尾花職員は同日中に右経過につき広報部長に連絡していること、原告も二度めの電話で右書き替えに応じていることからすれば、原告に対する書き替えの申し入れは、被告の前記申し入れが機縁になっているとはいえ被告から訂正申し入れをされた東京税理士会広報部の判断に基づく説得に原告がしぶしぶながらも自らの意思決定によりこれに応じたものと認められないわけではなく、少なくとも原告が威迫されたために強制的に訂正させられたとまでは認められないのであって、この点からしても被告の前記申し入れ行為に違法性を認めるには足りないといわねばならない。

三  以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤瑩子 裁判官 松田清 古久保正人)

〈以下省略〉

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